傘の音

あの日は傘をさして出かけたが、傘にほとんど雨粒が当たる音がしなかった。
ただ大気中に溺れそうなほど濃い水滴が漂っていたし、自身の被服に付着して鬱陶しいことこの上無かった。
もう雨は止んだのだろうと傘を下ろすと途端に雨粒が額に直撃し、私はしぶしぶまた傘上げ直した。

そんな天候の中でも遠くから息を切らせた声はハッキリと聞こえた。
走ってきたのか少女は全身が水滴と汗が混じり水浸しになりながら私の名を大きな声で呼んだ。
どこからか私を見つけたのだろう。
そしていつものように担当者である私宛に無数の人がそうしたように陳情を目的とした手紙を私に託すのだ。
私が見ることもない手紙を。

そう思って覇気の無い万人に対する公平性を意味する無表情で応対する。
これは何も意地悪や悪意でやっていることではない。
これが最も合理的で公平で論理的な選択肢なのだ。

少女からの手紙を受け取り、私は中身を確認せずポケットに仕舞い込んだ。
笑みを浮かべ雨に打たれる少女に早く帰宅するよう促し、私は道を歩く。
3ブロック先のレストランで食事するためだ。
傘に当たる雨の音が様々な騒音をかき消す。
車の音、雨宿り先を探している猫の音、物陰に必死で隠れる虫達、雨の中楽しそうにはしゃぎまわる犬、同じように傘を持って歩く老婆や青年。

雨は万人に対して平等だ。
そうであるとそれを人間が認める以前からそれは存在していた。

レストランについて傘を畳み、店員に傘を預けて中へ案内される。
暖色系の装飾が冷えた身体を心から温めてくれる。
それが錯覚だとしても、装飾と言うのはとても大事な要素だ。
誰も毒気のある色合いの中で食事したいとは思わない。

私が食事をしている中、レストランの窓から外を見ると先ほどの少女が再び手紙を片手に歩き回っていた。
そして誰かれ構わず手紙を渡し、お願いしていた。
中には受け取る者もいれば、即座に破り捨てる者もいる。
少女のその必死さに私の意識を再び手紙へ向けた、あの手紙の中身を。

ノヴァ管理機構 Log000-22 共感恐怖

人類が発せられる感情に対して、それが対象者が自身か他者かであるかを問わず
強い感情表現に対して激しく反応する人類個体は存在します。

強い感情表現に自身の感情が誘引される為、自己防衛本能から感情に対して忌避します。
その感情とは激怒や憎悪だけではなく、強い愛情や信仰も含まれます。

共感恐怖は自身の感情が他者に飲み込まれることへの恐怖から、感情との距離を取ろうとします。
これによって自身の感情を保ち、感情の起伏を避けることで自我を保つことが至上命題となっています。

<– ノヴァ管理機構 歴史記録素子保管庫 共感恐怖について –>

人の想い

私達人類は言葉と想いに呪われた可能性の存在である。
言葉は人を縛り、想いは人を呪ってきた。

社会構造が飢餓に瀕した時に、貪欲な豊かさは萌芽した。
その場には 数万人もの祝言を述べる人々が集まっており、私達はこれを脈動と名付けた。

脈動は社会の隅々まで瞬時に浸透し、飽和し、爆発と消滅を繰り返しながら拡散した。
それほどまでに私達はこの瞬間を待っていたのだ。
一体どれほどの刻を待ったのだろう?

今日の善き日はアルゴノードにとって善き日ではなく、人類にとっての善き日になる。

<- N.M. 祝録語より ->

ノヴァ管理機構 Log000-21 モジュールの思想

保護領域について

 人は社会システムに組み込まれるモジュールとして再構築された。
状況に合わせて様々にモジュールを組み合わせ、その時々の状況に対応する考え方だ。

モジュールはおよそ1万8743種類に分類される。
本来モジュールに上下関係は無いが、その内基幹系と呼ばれるモジュールが 1288種ある。
この 1288種のモジュールは保護領域と呼称された。

先進分断領域について

 保護領域はしばしば先進性と革新性から分断性質を持っていた。
我々は当初これをノイズと定義していた。
しかし再定義の過程で膨大な存在消失を伴いつつも可能性と再定義した。

オルド・モノア・ブリッジ計画

 我々は過去実施した行為は経験経路と呼ばれ、これらは同時に安全領域と定義された。
混迷の時代においてこの安全領域は多用されたが、それは施策有効効率を下げることにも繋がった。

施策有効効率が下がった場合、その総量を確保するために施策実行担当者は量や回数を増やす。
これがさらなる施策有効効率を下げることに繋がった。

この問題を解決するために総量規制としてオルド・モノア・ブリッジ計画が発令されたが、
世界的規模で反対運動が生じた。

科学的総量規制は、目先の施策実行担当者の感情には響かなかった。
前線にいる人達もまた、人間なのだ。

<– ノヴァ管理機構 歴史記録素子保管庫 惑星意識戦争 戦時記録ファイル オルド・モノア・ブリッジ計画について –>

ノヴァ管理機構 Log000-20 輝度の世界

俺はこの世界が大好きだ。
こんなにも綺麗な世界と、楽しい人々と、優しい世界と、別れるなんて想像もつかない。
そりゃ俺だって泣いたことだってあるさ。
もちろん怒ったことだってある。
でもそれが何だって言うんだ?
それはそんなに重要なことか?
俺にとって重要なことは美しさと楽しさと優しさだ。

今俺はバカンスに来ている。
どこにだって?言うもんか。お前らガサツな人種にはな。
ここは俺だけのリゾートなんだ。
俺は今世界を感じている。
この朝に走る光の筋、昼に照らす眩しさ、夕方に見せる茜色、夜に見せる青い世界。
俺はこの世界の全てを愛して、抱擁している。

空を見てみろ。
星だ。
俺は星が好きだ。
星は世界がなんて広いんだろうと言うことを言葉ではなく存在で教えてくれる。
学者や評論家の文章や理屈じゃない。
存在と言う誰にも否定出来ない事実を一目瞭然に俺に見せつけてくれる。
これほど分かりやすい世界は無い。

星を見ていると俺は思う。
もしかしたらもっと未来に、そのさらに未来に人は星へ向かうのかもしれない。
その時は空に見える光は、全て人々の輝きに見えるのかもしれない。
でも俺にとっては今この星が全てなんだ。
この星は俺なんだ。
俺は欲深い人間だと思っていたけど、こんなにも一つの星で十分だと思ったことはない。
もしかしたら、一つの星を望むことすら物凄い欲深いことかもしれない。
俺はこの星を死ぬまで抱擁して、死ぬまで愛して、死ぬまで離さないつもりだ。
星は俺を裏切らないし、俺も星を裏切らない。
こんなにも楽しくて素晴らしくて愛すべき世界があるんだってことを俺は知ったんだ。

<– ノヴァ管理機構 歴史記録素子保管庫 惑星意識戦争 戦時記録ファイル 臨時兵站基地所属軍属民間人の手記 –>

ノヴァ管理機構 Log000-19 Apósyrsi

軽蔑する。
神と人類の運命に反逆し、脱落し、敗北する軟弱な国々と無能な指導者を。
我々は最高機密である気化兵器の無償提供まで行っているのに、最後の最後で司令官の独断で起爆しなかったなど人類全体に対する反逆行為であり、最大の反人道行為である。
今回の失態により 2億7000万人の生命が危機に晒され、実際に 300万人もの無辜なる市民が犠牲となった。
断固とした処罰はもちろんのこと、今後我々が提供する気化兵器の全ての起爆権限を我々は断固として保持する。

<– ノヴァ管理機構 歴史記録素子保管庫 惑星意識戦争 戦時記録ファイル 第七回人類会議 開催地コペンハーゲン 非公式会合にて理事国代表発言より –>

タラズ防衛任務

[日時情報抹消]
任務開始 2日目。

我々はアイシャ=ビビ、キジルシャリク、ベスジルディク、クサク、クルチャトイに防衛線を展開し、ロルレルドロムに防衛本部を設置。
タラズ防衛任務に従事している。

我々の任務は非常に簡単である。
眼前の有象無象を攻撃すると言う単純明快なルールしか存在しない。
要するにこの世の中をややこしくする物の大半は、それら単純なルールで処理し切れない例外の扱いだ。

キジルシャリク部隊から<情報抹消>連絡があった。
最前線に境界空間が出現したとのことだ。
境界空間には武装したと思われる少女一名、護衛と思われる三名の計四名が立方体型固形惑星意識と戦闘をしていた。
我々はこの空間に干渉出来ない為、ただ見ることしか出来なかった。

<情報抹消>、境界空間を監視していたキジルシャリク部隊から収容連絡があった。
負傷した護衛兵1名、気絶状態の少女1名だ。
何らかの原因により境界空間からこの二名ははじき出されるように放出された。
護衛の男性はドーンと名乗った。
識別コードを求めたが携帯していないとのことで遺伝子調査に回した結果、第三計画に属する人類と判明した。

我々もまた人員不足が激しい為、ドーンが関与する部隊を我々の計画へ転入することを求めてみたが、今はそれどころではないと言う。
彼はXORと呼ばれる報告が含まれたチップを手渡してきた為、本部の情報班に内容を調べさせた。

任務開始 3日目。

XORの内容は非常に多岐に渡ったが要するに以下の内容である。
・第三計画に属する人類社会の生活形態が大幅に変化し、食事は水素とカリウムがメインとなる。
・脚部関節が増えて多関節化する人間が続出した。
また多関節化しても、まるで数十年その状態であったかのように体型変化に慣れる人類が多発した。
・上記は惑星意識の影響と思われるが、治療法は不明である。
特に大きく害が無い為、事実上の放置状態だが明らかに他人類と種を異とするあまりにも急進的な進化方法である為、対応に困惑している。
・人体構造の変化は第三計画指導層の困惑を招いた。種としての人間性の担保と定義はどう行われるのかについてじっくり考えるほど余裕のある生活をしていない。
場当たり的ではあるが旧来の人類を第一人類とし、構造変化のあった人類を第二人類と分類して棲み分けを行った。
・容姿と行動様式があまりに異なることから感情面の軋轢が増えている。食生活があまりにも違い過ぎて集団行動が困難であり、労働力や兵站機能が麻痺しつつある。
これらは惑星意識による攻撃の一種と考えている。
・一部には第二人類強制隔離計画も出たが、反発も考慮し現在は何ら措置をとっていない。

気絶状態の少女が目覚めた為、尋問を開始する。
少女の名前はレミ、第三計画に所属する人類だが、ドーンとは別部隊のようだ。たまたま現地合流し、共同戦線となったと説明している。
レミが属する部隊はカファーヴァ部隊と呼ばれる独立行動部隊であり、主指揮系統から独立した存在だ。

任務開始5日目。

ドーンが関与する部隊が対惑星意識防護目的で死体収集任務についていることが判明した。
境界空間内では第三計画に属する3万人前後の移動型居住施設があり、非武装民2万4000人、武装民4000人、民間武装志願者2000人で構成されている。
現時点までに惑星意識の防護作戦に3度成功しているが、多数の被害により継戦能力の限界に達しつつある。
そこで彼らは死体を利用した惑星意識に対する防護装置の開発に取り組み、部分的ではあるがその効果を実証した。
これらの成果は我々にとっても利益と考えており、現在技術情報の取得を急いでいる。

任務開始6日目。

クルチャトイに対して大規模な惑星意識攻撃が確認された為、クサクとベスジルディクの予備部隊をクルチャトイに回した。

この戦闘では非常に奇妙な報告が上がった。
ホルン型の頭部を持つ人型武装集団による攻撃を確認したが、過去これまで近似の事例は確認されていない。
戦術指揮統制へ情報を送信したが、事例の非線形分離が困難である為、解釈や学習は極めて難問であると結論が出た。

任務開始7日目。

ホルン型についての形容表現に本部疑義により再提出命令があった為、再報告する。
ホルン型とは楽器のホルンを意味し、現地部隊でそのように呼称されていた為、報告書にもそのように記載したが通念上かけ離れた事象であるため不適切な表現であった。
以後、注意する。

任務開始10日目。

惑星意識によるクルチャトイへの猛攻がようやく終わりつつある。
味方部隊への補給も滞りなく進んでおり、現時点で極めて高い成果を出している。

ドーンへの聞き取り調査の結果、人間の死体反応を利用した惑星意識撹乱計画が第三計画内に存在し、また一定の効果を得ていることが判明した。
我々への戦線へ反映するためにぜひドーンの協力が必要だが、本人は情報をこれ以上保持していないと言う。
虚偽の発言の可能性も含め、今後は懐柔策を強化して行く。

任務開始14日目。

クルチャトイの参謀支部が惑星意識による物と思われる三角錐状の砲弾らしき砲撃を受け、指揮系統に一部乱れが発生している。
緊急展開部隊を派遣した。

この砲弾らしき物についてだが、詳細は分析する必要が認められるが、基本的には精神汚染弾のような物であると推測している。
砲弾により防護陣地の一部が破壊されたが、それは砲弾そのものと言うよりも、砲弾の影響を受けた部隊による自壊部分があると報告を受けている。

我々はこの砲弾に対して死体を利用した精神汚染防護を試みることにした。もちろん全くの推測である。

任務開始15日目。

クルチャトイ前線が一部崩壊したことを受け、撤退指示を出した。
我々の現在の継戦能力に疑いの余地は無いが、物的人的支援は無限に歓迎する。

任務開始16日目。

驚くべき成果である。
死体を利用した精神汚染防護は想定以上の効果をもたらした。
恐らく精神汚染弾による被害は 8割ほど削減された。

我々はこの成果を広く人類に共有したい。
戦闘人員は1人でも欲しいところだが、我々は急遽情報共有分隊を作成し、これら成果効能情報をまとめ、幅広く人類に発する物である。

<– ノヴァ管理機構 歴史記録素子保管庫 惑星意識戦争 戦時記録ファイル タラズ防衛任務 報告記録より –>

ノヴァ管理機構 Log000-18 AugmentGear

人類の歴史とは言ってみれば環境適応と環境改善の歴史である。
変化、悪化、改善される各種環境に常に適応し、強化し、弱体化し、破壊や創造を行った。
環境変化こそが人類に許された優越種の権利である。

優越種権利は万物の霊長として、あらゆる根幹および存在の定義に干渉可能であり、
その全てに対して価値の付与を意味する。
それら選択肢は当然我々自身も含む。

神話時代から御魂を授けられた人類の器もまた、人類自身がそれらを超えるべく強化、改造、改善の対象であり
我々優越種は存在全てにおいて再定義可能な創造者である。

<– ノヴァ管理機構 歴史記録素子保管庫 惑星意識戦争 戦時記録ファイル 第一回人類会議 開催地バンコク主催者演説より –>

ノヴァ管理機構 Log000-17 反応検査記録#01

[HighSEC-D0X22X01-LOG01.01]

[ALog01:機密データ保護統制ルールにより対象者名称抹消]

[ALog02:機密データ保護統制ルールにより担当者名称抹消]

?./:何処から来たのか?
/+<:分からない
?O/:敷衍要求
?./:何をしに来たのか?
/+<:分からない
?L/:[CHECK][CHECK]本件について問い合わせが多数ある
?O/:本件はノヴァリングを経由すべきです
?L/:同意する、一次報告書を出せるか
?O/:出せます
?L/:プライマリターゲットを指定して直ちに送信するように
?O/:敷衍要求
?./:望むことは何か?
/+<:こちらが質問をしても?
?./:[CALL]LU値反駁を警戒しています。遡及しても?
?O/:遡及よりも意志反応を優先
?./:了解、続け
/+<:なぜ生きるの?
?./:[CALL]遡及要求
?O/:却下、継続
/+<:私達はどこから来たの?
/+<:私達は何処へ向かうの?
/+<:私達は幸せになれるの?
?./:[CALL]GLOSSOLALIAでは?
?O/:戯論を警戒しつつ、継続
/+<:ここにOSTRACISMはあるの?
?O/:陶片追放のことか
?./:蓋然判断性システムはある
/+<:それは私達を幸せにするの?
?./:[CALL]遡及要求
?O/:承認
/+<:私は思う、生きるために必要なことは何も無くて、死ぬために必要なことは何も無くて
/+<:社会が動的に変化したり、依存性を高めたり、維持コストを不断に釣り上げたとしても
/+<:私達が幸福を願って追求するのには何も変わらないって
?./:[CALL]記憶整理により寛解化を企図しているのでは?
?O/:遡及を
?./:何処から来たのか?
/+<:存在から来た
?./:携行品について説明を
/+<:分からない
?./:[CALL]最終判断を
?O/:有機検査に回す、思考については根幹再教育
?./:アレイ01、現時刻[ALog03:機密データ保護統制ルールにより日時情報抹消]をもって収容する
/+<:なれたらいいのに

<– 反応検査記録#01より –>