カゾリナ

惑星意識に対抗するために有機物に多数の機械を埋め込んだ。
この有機物は “アニマ” と呼称された。

アニマは遺伝子回路である。
特定の入力に対して特定の出力をする機械である。

我々は様々なデータを用意し、アニマの遺伝子回路を学習させた。
この遺伝子回路は非常に優秀で、過学習させてしまったが高度なデータ補正機能によりノイズデータを含め再解釈され我々の望むべき方向性へ結論を出した。

我々はこのアニマの持つ素晴らしい補正機能を理念型回路と名付け、この理念型回路を持つ遺伝子回路を幅広く人類に提供することとした。

<-“アニマ そして人類の勝利” 人類勝利技術カンファレンスにて ->

我々人類は直ちにこの理念型遺伝子回路”アニマ”の使用を禁止しなければならない。

南半球で発生した大規模な政治汚職の反動による政治テロにより
反汚職運動に名を借りた先住民族追い出しが行われた。
故郷を追われた文字を持たない発声言語文化のオガラペア・ブゥンドゥ(以下、オガラペア)の約6700名は、国境避難中に約300名が死亡、約1000名が負傷すると言う民族絶滅危機にあった。

これら住民を保護する名目で人道支援部隊が投入されたが、人道支援部隊は日々の生活の収入を提供すると称してオーダナと呼ばれる民間軍事会社による兵站支援にオガラペアを割り当てた。

この際、惑星意識との戦時下にあった国境付近にオガラペアが大量に投入され多数の死傷者が出た。
この死傷者は惑星意識による戦争被害民間死傷者として計測され、何名が兵站任務に属し、何名が兵站任務中で死亡したのか現在も不明である。
オーダナはその後、幾度か社名を変更し、現在はヘゲモニア・ウライマと名乗る。

この兵站任務中に重傷者となったオガラペアの1人、カゾリナと呼ばれる人物の意識は正常であるものの外部に対して訴えかける感覚器官を喪失しており、対惑星意識用の実験材料となった。

カゾリナは建設会社ネストアースプラント社アルコロジー基幹システム部に”有機材料”として購入された。
以後、カゾリナの名前は一切文書に記録されておらず、意味不明の有機物”アニマ”として数々の文章に記録される。

だがこの実態は人類が人類で実験を行い、人類が人類を犠牲にして助かろうと言う狂気の集団自殺行為である。
ネストアースプラント社はただちにこの事実を認め、関連書類を公表し、会社として法的責任を負うべきである。

反人権行為と安全保障を絡め、国防に資する技術開発に用いて利潤を得ようなどと醜悪なる狂気である。

私はこのおぞましい事実と関連資料を複数の信頼できる組織、および私が特別に信頼しているジャーナリスト個人7名にこの事実を送付している為、
私に対する脅迫や交渉は一切が無意味であることをここに表明する。

<-フリージャーナリスト グレン・クーパー氏による告発 ->

ソコトラ周辺海域高高度航空戦

ソコトラ周辺の海域上高高度において航空戦が展開された。
参加航空戦力は下記の通りである。
迎撃航空隊 ダビデ隊
迎撃航空隊 モスターニャ隊
迎撃航空隊 エルンシェット隊
戦闘航空隊 ケプリ隊
戦闘航空隊 アレース隊
軌道戦略衛星 グングニル

本任務は、イスマイリヤから出撃したグングニル破壊を目的としたと思われる惑星意識航空戦力(以下、スピットアローと呼称)を妨害することが目的である。
スピットアローの外見は大型の機械仕掛けの装甲板が張られた鳥のように見えるが、頭部に該当する部分が存在しない。
また翼下、背部、脚部に鋭利な槍のような物を装備しており、恐らくこれが攻撃主武器となる想定である。
これらが 24機出撃したと陸軍及び海軍から報告があった。

ダビデ隊がまず先行接敵し、敵進路の妨害および進行遅延させることに成功した。
ただしその際にダビデ隊の40% に相当する戦力が機能を喪失して離脱。
続いてモスターニャ隊とエルンシェット隊が接敵し、敵と乱戦状態へ遷移。
モスターニャ隊隊長から「Δόξα」信号を司令部は受信した後、音信途絶し全滅判定。
エルンシェット隊は戦力の過半を失い、副隊長から離脱指揮命令が出たがその後撤退中に全滅判定が出た。

この時点で海上から高空監視を行っていた艦隊より敵残存航空戦力が8機であることが判明した為、任務続行を判断。
精鋭で構成されるケプリ隊とアレース隊が現場空域に到着した為、交戦空域へ投入を決断、敵残存航空戦力破壊命令を出した。
接敵直前、敵スピットアローの2機は全翼から人を模した石像のような物を1体ずつ生み出し、投下した。
海上防空艦隊にこの石像破壊を命じたが、石像を破壊した瞬間に何らかの物理崩壊現象が発生した。
これは膨大な海水と対消滅したと考えられ、海上防空艦隊は突如海面に出現した巨大な穴に吸い込まれ沈没した。

ケプリ隊とアレース隊が接敵後、スピットアロー全機撃墜を確認した。
精鋭部隊損耗率も 10% の成果であった。

軌道戦略衛星 グングニル は予定通り目標地点到達後、軌道爆撃を行う。

<– 惑星意識戦争 戦時記録ファイル ソコトラ周辺海域高高度航空戦 戦況報告書より –>

ノスティボア副脳実験事故問題

惑星意識戦争における人類勝利を確立するため、ノスティボア教授率いる脳科学者集団が起こした実験事故。

実験を成功させる為に、社会的に問題があるとされた約370名の様々な人物を実験と明示せず勧誘。
本人の承諾を得ないまま人体実験を行った。
この勧誘で誘われた人物に、横領で罪に問われた当時の政治家の息子が入っていたことから大規模な政治問題化した。

人体実験では本来の人間にある主脳に加え、副脳と呼ばれる第二脳を組み込むことにより
惑星意識攻撃から耐えられる人類を人工生産し、それらを組織化しようと計画していた。

だが実験事故により被検体の21名が逃走、上記の政治家の息子もまた逃走し、実験内容が広く社会に公表された。

当初は悪辣な人権侵害かつ法律違反である刑事事件と捉えられていたが、
この実験を複数の国家組織が支援していたこと、また著名人物による多額の寄付が発覚し、大規模な政治問題と化す。

最終的にこの問題は惑星意識が喫緊の課題であり、人類が集結しなければならない状況で、
人類を分断させなければいけない状況となり、政策遂行に重大な障害が生じた。

しかしながら、逃亡した21名の内、19名に極めて高い惑星意識による加害耐性があることが分かり、
軍用または秘密裏に高度な地位を獲得した人物もいる。

上記の政治家の息子以外、被検体の素性は一切明らかになっていないことも人類間の疑念と分断を加速させる一因となった。

<– 惑星意識戦争 戦時記録ファイル 公開議事録2047分析評より –>

虚樹那システム

虚樹那システムは順調に開発が進んでおります。
我々は当初、本システムの開発工数を計算しておりましたところ、人類意識が数千人分必要との概算が出ました。

しかしながら、エイブン・ブレックス隊が試験導入している随意識携構体を用いることにより、これらを数十人分まで圧縮することが可能となりました。
議会からの反発も考慮し、ここらへんが適切な落とし所と皆様解釈されたことでしょう。

以上は全てがフェーズ3作業となり、以後はフェーズ4へ段階を進めます。
フェーズ4ではさらに虚樹那システムの拡張を進めて参ります。

具体的には第二計画人類とのさらなる人的協力、資材提供、それに伴う作業場の拡大です。
我々第一計画が惑星意識との間に結論を出すことで、人類はさらなる発展が約束されるのです。

<– 第一計画 途中経過報告書ウツロギダ021より –>

アフマージの世界

私の目の前で1人の少女が逝った。
少女に最後の言葉は無かった。
私のこの気持ちは誰に届けるべきなのだろうか。世界とは何であろうか。
生きることとは何であろうか。

世界は惑星意識とやらに侵略されていると政府は言った。
それが真実であるかどうかはどうでもいい。
現にその惑星意識との戦争から逃げる過程で、少女は怪我を負った。

少女には愛する弟がいた。
だが弟は幼い身体でありながら惑星意識と戦うと言って民兵志願をした。
少女は当然反対したが、弟は断固として意見を変えなかった。

民兵組織はまず軍事訓練が必要だとして、2年間は戦場に出さないことを約束した。
少女は、少なくとも2年間は弟の命が大丈夫であろうと安堵した。

だが不幸なことに半年過ぎた頃に、惑星意識による兵站破壊が行われ、前線に多数の死傷者が発生した。
弟はまだ1年半も教育訓練期間があるにもかかわらず、1人前の兵士として昇進したと手紙で連絡が来た。

少女は民兵組織に抗議したが、本人が自発的に志願した為、組織側で拒否出来なかったと回答した。
弟に合わせてくれと懇願したが、任務中につき会えないと言われた。

それから1年経ったが、未だに連絡がとれない。
弟がどこへ行ったかは分からない、死んでいるのか生きているのかも分からない。
少女は悲しみ、怒り、困惑し、嘆いた。

惑星意識の戦線が少女の家に近づいた時、偶然にも私は出会った。
第502中隊戦場記録係として軍属派遣されていたカメラマンの私は、前線の状況を撮影する任務を帯びていた。
戦場では兵士達にスープを振る舞う少女が目についた。
1日4回、朝、昼、晩、深夜と少女を見かけた。

少女のスープは少し塩辛い物だったが、兵士達には好評だった。
兵士には塩分が足りないのだろう。

毎日毎日飽くことなく少女は献身的にスープを提供し続けた。
何と人類に貢献的なのだろうと私は感動していたが、
弟を探していることを後日知ってからは何か手助け出来ないかと考え始めた。

少女に勇気を出して声をかけてみた。
私はカメラマンだ。写真を日常的に撮影するのが仕事だと。
機密情報もあるので全部は無理だが、兵士達の写真を見てもらい、弟が居ないか調べられないか、と。

少女の目が少しだけ輝いたのを覚えている。
そして塩辛いスープを奢られた。残念ながらちょっと私には苦手な味だ。

それから三ヶ月以上、ほぼ毎日少女と出会った。
私が撮影し、写真を見せ、少女は毎日落胆した。

ある日、少女は言った。
「たまには他の人の話も聞きたい」

少女は弟のことを考えるあまり、そればかり考えて辛かったのだろうか。
私に戦場の思い出を話してくれと言ってきた。

そこで私は、どんな状況でも自己紹介を忘れない男の話をした。
その男は、惑星意識に包囲され絶体絶命な状況にあったらしい。
自暴自棄になった男は、大声で自己紹介をしながら銃撃した。
母親について、父親について、生まれについて、友達について、恋人について、趣味について。
銃撃と言う暴力と、愛を持って語りかけるような言葉の入り混じりを。

なぜそうなったのかは男も覚えていない。
気がついたら包囲が解けており、人類の救援部隊に救出された。

それ以来男は、必ず自己紹介をする。
敵にも味方にも、以前自己紹介した相手にもだ。

でも自己紹介が万能ではないことを本人自身が証明した。
男は惑星意識に攻撃され、死んだ。
回収された遺体からは、全身のあちこちに仕込んでいた自己紹介の手紙が発見された。
男は自己紹介を通じて戦い、自己紹介をして逝った。

少女は男の話を聞いて、少しだけ悲しい表情をして、少しだけ笑った。
「やることが見つかって、その人は幸せだったのかもしれませんね」

人は自分が何をやるべきか、何をやらないべきか、常に問われているし、
ましてや誰かが教えてくれるわけでもない。
だが奇妙なことに、敵である惑星意識がいたからこそ、その男はやるべきことを見つけた。

私が写真を撮る使命感も、惑星意識との戦いの中から産まれた。
軍の士官達には絶対言わないが、だが正直なところ私は惑星意識によって人類は使命感に目覚めているのでは、とすら思っている。

いたずらをして、物を破壊したり盗んだり、何かを傷つけていた悪ガキが、
母親にパチンと頬を叩かれて、ようやく気付いたのだ。
自分が何をしていたのか、何をすべきか、何をしてはいけないのか。

ある日、軍の補給所で会う予定だったが、少女は来なかった。
他の誰に聞いても見ていないと言う。

民衆の雰囲気も記録したいと言いつつ、前線から離れ、街で少女を訪ねて回った。
家が分かり尋ねると、非常に暗い顔で少女は出迎えてくれた。
毎日重いスープを運んでいるので腰を痛めてしまったと。しばらくスープを運べないと。

気にするなと言い、医者を呼んでくると声をかけて私はその場を離れた。

その翌日、運が悪いことに惑星意識の総攻撃があった。
前線は何とか耐えていたが、惑星意識の砲撃が街の方まで飛んでいくのが見えた。

私は不合理にも巨大な不快感を覚え、軍の補給トラックに乗せてもらい街へ向かった。
幸い少女の家は崩れてはいなかったが、近隣では爆発痕があった。
少女の家は、壁のあちこちに穴が空き、大量の破片がぶつかった形跡がある。

慌てて家を尋ねると、少女は頭から少量の出血をしてうずくまっていた。
破片が頭部にぶつかったらしい。

私は彼女を抱えて病院へ向かったが、病院は前線からの流れ弾がひどいためスタッフと患者をより遠い場所へ避難する準備だと言う。
全く人手が足りず、包帯を巻く暇も無いと言われ、消毒液と包帯を看護師から渡され、とりあえず私が応急処置をすることになった。

軍の訓練で応急訓練は学んだが、いざ目の前にすると本当にこれで良いのか不安になってくる。
強心剤などを少女に打っても良いのだろうか?身体に負担が大きすぎるだろう。

私は病院の避難車両に少女を抱えて乗せてもらった。

半日かけて到着した街はより人が少ない街だった。
軍の補給拠点でもなかったし、交通は軍が優先されるためにわずかな住民しか街にはいなかった。
役所を緊急医療施設に改造し、患者の治療が始まった。

少女も治療してもらったが、頭部の擦過傷だけでなく咽頭部に小さくだが鉄の破片が突き刺さっていることが判明した。
医者からは気が付かなかったのか?とばかりに口では言わなかったが目を向けられた。
非難するような目ではなかったが、それでも医者の悲しい目つきが忘れられない。

あまりの頭部の出血にそちらにばかり目が行っていた私は猛省した。
猛省した、が、私にはどうにもならない。
ただただ医者と神にすがるしかない。

医者。
神。

短い時間ではあったが、写真の思い出を共有した少女との記憶は私にとって重要な物だ。
それが最終的には医者と神にすがらなければならないなんて、なんて私は無力なのだろうか。
写真にそこまでの力は無いのだろうか。
私のやってきたことに、力なんて無いのだろうか。

治療が始まって三日後、少女は目が覚めた。
私は少女の目が覚めた時、その場では寝ていたので気が付かなかったが、
声が出せなくなっていることに少女は気付いて、そして落胆した。

なぜ惑星意識とやらはこんなことをするのだろう。
人は言う、惑星意識はそもそも人を見ていない。そう言う物ではないと。
もちろん、惑星にとっては人類など小さな出来事で、人間で言う皮膚表面の細菌程度の物なのかもしれない。

だが、明白な攻撃的意図を持ってそれらを駆除しようと戦っているあれらは何だろう。
人は言う、惑星の無意識の防御機構だと。

そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
惑星意識とは、そもそも人類の考えで推し量る物ではないとする意見もある。
だがもはや事態がここまで進展した今では、意見なんかは、どうでもいいと思っている。
人の考えなんか、どうでもいい。

私は、あの少女が弟と出会うところが見たい。
それは惑星意識の所業を超える人類の希望や夢だと思うからだ。

私が少女を救っていたのではない。
私が少女に救われていたのだ。

サイクル4と言う部隊が予備隊として前線に控えて居たが、急遽持ち場を離れて戦線右翼側へ移動した。
右翼側の崩壊しかかっている戦線を支える為に行くのだと言う。

サイクル4が移動した二日後、突然惑星意識の攻勢が激しくなった。
まるでこちらの戦力移動を察知しているかのような激しさだった。
前線の司令部まで砲火に晒され、後退することになった。

少女は軍の後退列とは別に後退することになった。
軍の列は惑星意識の攻撃に晒される危険性が高いとの判断だ。
だがその判断は真逆の結果を及ぼした。

そう、惑星意識の考えることは人間側の考えとは全く違うところに存在するのだ。
そのような配慮は何もかも無意味なのだ。
合理性とは人間の間でのみ成り立つ方程式だ。

私は惑星意識の砲火に晒された直後の民間後退列に派遣された。
まだ救助も始まったばかりで、どこも悲鳴とうめき声で満たされていた。

不思議と私は誘われるように白い救急車の車列に向かう。
前方から三両目の大きな横穴の開いた車両に少女は居た。
全身、あらゆるところに大小様々な破片が突き刺さり、なぜこんな酷いことをするのと訴えかけるように涙を流していた。
私は返す言葉は無かったが、せめてもの想いで手を取った。

私の目の前で1人の少女が逝った。
少女に最後の言葉は無かった。
私のこの気持ちは誰に届けるべきなのだろうか。世界とは何であろうか。
生きることとは何であろうか。

二ヶ月後、弟の所在が判明した。
正確には、死亡していたことが判明した。

前線任務に着任して二日目、防衛用地雷原敷設作業中、
不慣れな作業の人為事故で死亡していた。

私は、
答えを求めてなどいない

私は、
幸せとは何だろうかを考えた

考えられる、と言うことは幸せかもしれない
この答えのない世界で
考え、記憶し、想いを伝えられると言うことは

<– 惑星意識戦争 戦時記録ファイル エレバン防衛作戦、戦意高揚士気報道統制担当官手記より –>

VandalismStructure

構造は破壊される。

継承は模倣される。

模造は真実に置き換えられる。

撹拌は検閲される。

改善は渦流探傷に晒される。

探求は深淵に囚われる。

私達は存在を既知としている。

お前の存在を

<- 惑星意識戦争 戦時記録ファイル 発信元不明 短信->

欠けた宝石

よく覚えております。
それは若い男女でした。

男の方は信じられないほど無口で声をかけても一切反応しませんでしたが、
女の方は力強い笑顔でした。

あれは雨の日だったと思います。
若い男女で、女が男を肩でかついでよろよろと私の店に入ってきました。
二人ともずぶ濡れで、私はタオルを渡し、温かい飲み物を尋ねると二人分の紅茶を女は頼みました。

男は目の焦点があっていないと言うか、どこか遠くを見てぼーっとしているようでした。
女が男を肩からおろし、椅子に座らせるとだらんと両手をぶら下げ、死んでいるのかと不安に思いましたが
時折、店外の音に反応して頭を振っている様子から死んではいないようでした。

私が二人に紅茶を出すと、女の方が切り出しました。
ここに兵士は良く来るのか?と尋ねてきたと思います。
私の喫茶店から40kmのところが前線ですのでこのような質問をしたのでしょう。
よくいらっしゃいますよ、そう答えると彼女は満足げに笑顔で椅子に座り直しました。
彼女は紅茶を飲みながら落ち着いた様子で、まだ店は続ける気なのか?と。
私はこの地で生まれ育った身、最後の最後まで居続けるつもりですとお答えしました。

その時、遠くの方で砲撃音のようなドーンと言う音が響いたのをよく覚えております
連れの男がその音に驚いて椅子から落ちそうになりましたが、女がぱっと手を前に出して男の腕を掴みました。
女は男に何かぼそぼそと話しかけていました。落ち着くようになだめていたのでしょう。
男はそれを聞いて落ち着きを少しずつ取り戻しましたが、それでも不安なのか全身を少しイラつかせたように小刻みに動かしていました。
私は女に連れの男について聞きました。
どうも前線のさらに向こう側の、既に惑星意識下に占領された地域出身のようでした。
二人はその後、特に何をするでもなくひたすらのんびりと椅子に座っていたようでした。

夜になり、閉店の時間も迫ると女の方が尋ねて来ました。
泊まる宛も無いし、この店のソファーでいいから寝かせてくれないかと。
正直、こうなるとは思っていました。
二人は移動用の交通手段を持っているわけでもなく、必要な物資やリュックサックすら見当たらなかったですから。
念の為、貴重品を全て隠し、お金も金庫に仕舞ってから二人を泊めました。

翌朝、女は寝ていて、男の方は起きていました。
男の方は情緒不安定なので会話するのに少し不安でしたが、男の方から話しかけて来ました。
緊張や不安で短時間しか寝られない体質だと。
なので少しでも緊張が和らぐように香りの良い紅茶と、ハムとキャベツを挟んだサンドウィッチを男に差し出しました。
男は大変満足したのか、色々語ってくれました。

ベンファーマ特異部隊と呼ばれる人達が、惑星対話を試みるために都市区画B2で実験をしたこと、
自分の出身都市が軍事研究都市で、いわゆる閉鎖都市であり、地図にも載らなければ都市に正式な名前すらないナンバリング都市。
本来であれば一生そこから出られない都市であること。
軍の任務を帯びて惑星対話の成果をブダペストに持ち運ばなければいけないこと。
持ち運ぶ途中で、惑星意識の代理人を名乗る集団に捕まったこと。
そして代理人集団に惑星対話成果を全て奪われ、対価としてこの女が与えられたこと。
この女が惑星対話の産物であること。
この女が人間であるかどうかも分からないこと。

そこまで話したところでもう片方の女は起きてきて、こちらに話しかけてきました。
女が言うには、男は極度な精神的摩耗状態であり、妄想を併発していると。
その証拠に男の診断書も見せてくれました。
そして男とは結婚するつもりで、私はここにいるのだと。

その日、軍の補給部隊の帰還トラックに二人を乗せて都市部の方へ帰しました。
確か、ええ、そのトラックはオルトだったがアルトだったか部隊名を名乗っていました。
二人がなぜここへ来たのか。
男の言うところは全部が妄想なのか。
何が真実なのかは私には分かりません。

ただ男は、わざとか本当に忘れたのか一つの手帳を店内に落としていました。
手帳にはただ一言、助けて欲しい、と書かれていました。

彼が何を思ってここまでやったのかは分からないし、今こうやって私の目の前にいる査問官の貴方も気になるところでしょう。
しかし、私が貴方に手渡したこの手帳と私の記憶以外は本当に何も知らないのです。

<– 惑星意識戦争 戦時記録ファイル 前線査察 特殊失踪B2に関する特務 査問官報告書より –>

リガンド機械化人形部隊

人類は惑星意識に対抗するために、高度に人類を模した機械化人形部隊を編制し、それらはリガンド、と呼称されました。
それらは本来必要とされるはずも無い外観においてさえも芸術的でした。

機械化人形部隊にはアウリーパと呼ばれる女性を模した人形がいました。
彼女の日課は、朝起きて世界各国の民謡を歌い、夜は火の周りで民族のダンスを踊ることでした。

任務は部分的には失敗しました。
民謡は閾値を超えない範囲で抑揚や音程の上下、音の震えなどが再現されましたが、何かが違うと言われることもしばしばでした。

ですが大半は成功と言えるでしょう。
戦場において民謡やダンスなどの機会が滅多に無い為、現地部隊からの評判は高かったと聞いております。

ヘッシュマーレ補給作戦、エウデニル降下作戦、ベネチア防衛作戦、フリーダムファイター作戦、エディルネ防衛作戦。
しかし最も記憶に残るのはウィーン再奪還作戦でしょう。

ウィーンにおいては規模不明の惑星意識攻勢部隊が第一作戦に従事する人類部隊を突破した為、我々第二作戦人類部隊が急遽防衛に回りました。
ウィーンの攻防は非常に多忙かつ目まぐるしかったと聞きます。
ブルノ方面から無限とも思える規模の隙間の無い攻勢があり、現場士気は落ちるところまで落ちた為です。

アウリーパに出撃前の作戦案提示で、歌と踊りの混合を指揮官は提示しました。
アウリーパは指揮官の命令を絶対とする規範である為、通常はそのようなことは無かったのですが、
なぜかその作戦に関してだけは、意見具申と言う形で彼女は一つの提案をしました。

残念ながらその提案内容はログに残っていません。
しかしながら、指揮官はその案を採用すると返答したようです。

惑星意識攻勢部隊は、主に物理部隊、波動部隊、聴覚部隊、舞踏部隊などの混成部隊でした。
まさしく総力戦と言って良いでしょう。
人類は弾丸だけではなく、歌と踊り、思考と香り、色彩と感情で対抗する必要があったのです。

当然アウリーパは最前線に送られました。
彼女は様々な意識の衝突が行われる中で、一つの踊りを魅せました。
それが何の踊りだったのかは分かりません。
どこかの、非常に名もなき小さな部族の踊りだったのでしょう。

その踊りは人類が、機械を通してであれ、初めて惑星対話に成功したかのような、
それほどまでにあれほど激しかった惑星意識からの攻撃が、ほんの数時間だけですが、止まったのです。

彼女の周りには意識が、感情が、色彩が、あらゆる音が集中します。
それは騒音のようで騒音ではなく、想いのようで想いでなく、心のような、声のような、不定形の物でした。

観測手の報告によると、彼女は視認不可能になる直前まで一心不乱に踊り、声をあげ、笑ったり泣いたり、ほんの数十分の間に数十年分の人生を歩むかのような、
それほど激しい様相だったと言っています。
機械化人形に生命が宿ったと観測手は報告を終えました。

惑星意識の攻勢が止まっている時間は、人類に補給と反撃準備を与えるに十分でした。
私達はアウリーパを失い、ウィーンを守ったのです。

<– 惑星意識戦争 戦時記録ファイル ウィーン再奪還作戦について 戦況報告書 個人加筆部より –>

アイラの記録

私はその日、部下のライドウがドアを蹴破る勢いで激しく入室してきたことを覚えている。
彼は眼が興奮し、足は震え、手が無意味に激しく動いていた。
そして呂律が全く回っておらず早口な為、彼の話していることの一文のみ理解出来た。
「水をくれ」と。

ライドウが落ち着いた頃、第404会議室に連れて行って貰った。
そこには予想だにしない人物として人類防衛司令官アビラ、人類防衛副司令官オーシャが居た。
また名前もほとんど覚えていない有名人が多数いた。
会議室の中央には、私の同僚であり旧友でもあるザナックスが居た。
彼は私を見るなり、顎が壊れるんじゃないかと思うぐらい大きく口を開けて笑顔でこちらに来た。

私はもう何日も研究をぶっ続けていたので、ハグをするのをためらったが彼も似たような状況だった為、ハグをした。
どうしたんだ?と彼に聞くと、人類は勝利した、と彼は言った。
膨大な時間と資材を費やして、ついに人類は惑星意識に勝てる兵器、戦略結晶の生産に成功した。

この戦略結晶の原理は単純だが、単純が故に効果的だ。
惑星意識が伝播時に使う周波数帯域に対して強力な逆浸透とも言うべき存在を発生させ、
かつそれらは威力がほとんど減衰しないことから、一度使うだけで膨大な広範囲の惑星意識を一気に無効化することが可能だ。

もちろん理論上の話であり、これらは実際に使用してみないと分からない。
人類防衛司令官のアビラは早速、この兵器の実戦投入を主張した。
ザナックスはあくまでもまだプロトタイプ型なので、起爆に関して幾つか特殊な条件が必要だとアビラへ説明しつつ、私はそれらを聞きながら一つの不安を覚えていた。

我々が今までやってきた惑星意識との戦いで感じたことは、まるで人類の考え方や思考様式や技術進展度すらも把握した上での攻撃のようだったことだ。
つまるところ、惑星意識は私達が何であるか、を知っているが、私達は惑星意識が何であるか、については何も知らないのだ。

知らない相手に対して我々は勝てるのだろうか?
ましてや人類は、本当に人類を正しく理解し、知っていると言えるのだろうか?

我々が惑星意識に勝つには、兵器や反撃ではなく、我々自身への理解を深めることではないだろうか。
つまり、我々人類が人類と言う物を理解した時、我々は初めて惑星意識に対してこのように主張出来るのである。
「私達は人類である」と。

<– 惑星意識戦争 戦時記録ファイル 日時抹消データ 研究員の日記より –>

想いの総和

答えが何になるかは知らないし、それが何のために存在するか少女は知らなかった。
彼女の目的は、壁に書かれている想いを伝えることだった。

壁は定期的に室内に送られてくる。
壁とは小型で、少女の両手で何とか持てる大きさであり、わずかな面積に恐ろしいほどの情報量が書き込まれている。
毎回、この壁と初対面になる時だけが彼女にとって苦痛だった。

まさしくありとあらゆる感情が壁には刻まれていた。
過渡な情報量は脳の処理能力を一時的に超え、シャットダウンするよう脳が提案する。
彼女は深呼吸し、心を落ち着け、過剰情報の処理を行う。

壁の情報を読み解くのには5日ほどかかる。
解読するころにはようやく想いを理解出来る。
「この人は、想いを整理しつつある」
そう感想を述べると、部屋のドアを開けて小型二足歩行ロボットが進入する。
「名無しの少女、解読を終えたか」
ロボットの問いかけに、少女は読み解いた要約情報をまとめた記憶チップで返信する。
「今回もご苦労、明日また想いを届ける。今回の報酬だ」
ロボットがそう言うと、部屋のドアを開けて別のロボットが食器を運んでくる。
そこには食料と飲料がまとめてられている。
それを受け取りつつ、少女はロボットに聞いた。
「私はあとどれぐらいここにいるの?」
「想いが総和に達するまでだ」
「それはいつになるの?」
その問いかけにロボットは返信しなかった。
代わりに別の記憶チップを渡してくる。
「次の壁はこのチップにまとめるように」

少女は繰り返し繰り返し、壁に刻まれた膨大な文字情報を要約し、自分を通して記憶チップの限られた記憶領域に想いを刻んだ。
「私はたくさんの想いを受けてきた、私も想いを届けたい」
そう感想を述べると、部屋のドアを開けて小型二足歩行ロボットが進入する。
「ご苦労。次のフェーズに移ることが決定された」
そう言ってロボットは少女の腕を掴んで立ち上がらせる。
少女は、ロボットに訪ねた。
「想いは総和に達したの?」
「私達は様々な情動情報の受信によって全ては飽和すると考えていたが、送信によっても飽和すると確信した」
ロボットは少女の電磁拘束具を解除し、部屋の外へ連れ出した。
少女は不安ながらもゆっくりと歩き出す、部屋の外からは眩しいぐらい強い光が降り注ぐ。
「私も誰かに想いを届けられるの?」
「この悪意ある惑星の中で、想いは様々な形式で自他に感情をもたらす」
ロボットは遮光メガネを取り出し、少女の頭部にゆっくりと装着させた。
少女は遮光メガネに挟まった髪の毛を手櫛で解きながら、前を向いた。
遮光メガネをかけていても、光量が多くまともに前方視界が確保出来ない。
さらに部屋の外から聞いたことが無いような音が聞こえる。
少女はロボットの腕に強くしがみついた。
「この先に何があるの?」
ロボットは何も文字が書かれていない壁を少女に手渡しながら、少女を先導した。
「私達の想いです」
少女の手足が震える。
私達の存在は究極的には弱いのだ。
それを今実感している。
ロボットは少女の振動を読み取り、声をかけた。
「一緒に行きましょう」
少女は震えながらも、ロボットに対して微笑みかけた。
この微笑みはロボットにとって計画外の微笑みだった。
これについてロボットは反応を示そうと形容詞の選択肢が数多に出現したが、それについて外部出力する判断基準は存在しなかった。

想いとは何なのだろう?
私達は惑星意識に絡め取られ、人類は巨大な檻の中で蒸し焼きされるようにゆっくりと、しかし確実にその魂を天に届けている。
これに何の意味があるのだろう?私達は惑星と対話出来るのだろうか?そもそも惑星とは何なのだろうか。

意識との対話は常に開かれている。
想いの総和は必ずしも届かない。
意識はいずれ切断され、想いは濁流のごとく無残に流される。
それでも私達は万の想いの一つでも届くことを信じて、この繰り返される想いが誰かにいつか届くであろうと、純粋に信仰している。

ロボットに先導されて外に出た少女は、初めて見る世界を前に言葉を発した。
「こんにちは、世界」

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