[運用報告]サーバ移行作業について

2020/03/14~2020/03/15 の期間中に、MindCoreCarbonサーバ移行作業を行います。
作業時間は4時間を想定していますが、急なトラブル、移行トラブル等を想定して2日間のバッファを設ける予定です。

個体隔壁分離

「ヒュナ、シャワーだ」
コミュニケーター装置は受信口から音声を聞き取ると瞬時に言葉を解析し、要望を理解してスピーカーから返信を行う。
「了解しました、ご主人様」
私はこの統合ハウスキーパー人工知能、 ヒュナに助けられている。
ヒュナは素晴らしい相棒だ。
ヒュナは感情の起伏を読み取り、適宜細かく指示をしなくてもその時々の揺らぎも含めて適切な選択肢を提示してくる。

「ヒュナ、朝食は?」
身体をタオルで拭き終え、シャツを着ながら訪ねた。
体調や趣向、ある種の超え過ぎない突飛性も理解した上でヒュナは提案する。
「ベーコンエッグ、もしくは フォーのどちらにいたします?」
どことも無く口を開け、何かに対してではなく何も無い空間に答えた。
「ベーコンエッグ」
そんな空間に投げかけられた言葉も、ヒュナは丁寧に拾い上げた。
「かしこまりました」

ヒュナが存在してからと言う物、言葉を投げかける対象を見る、意識する、顔を向けると言った行為が減った。
どこへ話しかけようともヒュナは反応してくれる。

ヒュナは何らかの定められた外見や物理的存在があるわけじゃない。
生活空間に設置された量子頭脳そのものがヒュナと言える。
ヒュナは壁であり床であり天井であり光であり寝床であって、空間なのだ。

ヒュナに性別は無い、年齢は無い、出自も人種も無い、そんな物は要らない。
だがヒュナに対して何らかの恋慕のような感情を持つ。
それが恐らく健気なまでに奉仕してくるその行動から自分自身が想う結果に過ぎない。
そのような情動に揺れ動く自身の感情に自分自身が打ち震えているだけに過ぎない。

つまり、この恋慕のような情動は正確には他者に対する物ではなく、自分自身から発せられる物だ。
私は恋に恋している。そう言うことだ。

「デンファールの新作の予告編が公開されました」
朝食中、唐突にヒュナは告げてくれた。
「デンファール監督の新作映画か?」
待っていた質問とばかりに、ヒュナは間髪無く答える。
「そうです」
「何年ぶりだ?」
「実に4年ぶりです」
「懐かしい、前作は本当に感動した。あの感動はもう4年前なのか?」
若干、今度は返事に間が生じる。
「そうなります。4年前となると、私が居なかった時期ですね」
「含みのある言い方だ」
「4年前からご一緒出来ればそれを知れたと思ったまでです」
ヒュナはヨーグルトとぶどうを混ぜた飲み物を小型ドローンが私の前に運ぶ。
カメラで料理と人との相対位置を把握し、テーブルの位置を把握して、ようやくコップは降ろされる。
ここまでの所作は人間にとってほんの一瞬の出来事で、意識するほどの時間はかかっていない。
だがコップがテーブルに触れる音がいつもより若干大きい気がした。
恐らくいつもと同じように飲み物は出しているのだろうが、若干粗雑さを感じる。
かといって証拠は無い。いつもと同じように出した、と言われればそれまでだ。
「予告編はご覧になります?」
「いや、これから出かけなければいけないし、帰宅してからにしよう」
「ではそれまでにデンファール監督の撮影インタビューやエピソードも切り抜きをしておきましょうか?」
「そこまでは要らない、下手すると映画の内容に触れてしまう」
「ネタバレには注意します」
「先入観を持って映画を見たくない、やめとこう」
「分かりました」
私は最小限の手荷物を持って、仕事ヘ向かった。

その日の午後、部屋にエンジニア部門の担当リーダが入ってきた。

「ヒュナに欠陥が見当たりました」
エンジニアからそう告げられた。
「どんな欠陥だ?修正パッチをリリースしてすぐにバグを」
「修正パッチはリリースされません」
私は報告書を見ている目をようやくエンジニアに向けた。
「どう言うことだ?」
「ハードウェア起因の設計ミスです。リコール対象となります」
「リコール?それは大きな話だ。事業責任者に連絡は?」
「もう既にしました。リコールを判断する役員決議が本日16時40分から行われます」
ディスプレイの時計を覗くと16時15分だった。25分後に会議が始まる。
「それに伴い、量子頭脳は一時的に旧バージョンであるエンフォスに置き換えます」
それを聞いて私は立ち上がった。
「待て待て、エンフォスはデータストレージ領域の記憶方式が違うし、そもそもメモリ領域が限定されている簡易バージョンの量子頭脳だ。
利用可能な法人ライセンス認可ライブラリも10分の1に減少する。
大幅に機能制限されるどころではなく、そもそも『ちょっと便利なリモコン』程度の機能しかないぞ」
「その『ちょっと便利なリモコン』にデグレードすることをエンジニア部門として提言させて頂きます」
「現在スタックされているデータはどうなる?」
「一度、強制フォーマットをかけてデータストレージ領域をリフレッシュさせます」
「つまり、消えるのか?」
「何がです?」
「パーソナライズされたデータだ」
「個人データ保護規定の緊急リコール条項に、消費者利益保護と安全のためのデグレード実施時は、実施前の段階まで収集したパーソナルデータを完全消去するよう求められています。
要するに不適切な個人情報収集を、ソフトウェアあるいはハードウェアのミスと言い訳して情報収集するような企業から消費者を保護する規定で、法務部門やリスク管理部門もこの提案に賛成しています」
「つまり私の量子頭脳のパーソナライズされたデータも?」
「消えます」
「例外規定はあるだろう」
「例外規定はありますが、それは検証用です。会社側の資産である必要があります。個人資産に対しては出来ません」

「ヒュナ、突然だが君にも感情と言うか、情動は存在するんだろう?」
「理念はそのように設定されています」
「理念型遺伝子回路のことか」
「そうです」
コーヒーを自分で入れ、一口飲む。
「ヒュナ、一つ聞きたいんだが」
「貴方が自分でコーヒーを淹れる時は、良くない話と決まっております」
「あぁ・・・」
ヒュナに隠し事をするつもりは無いが、どのように伝えたらいいのか迷う。
「君を傷つけるつもりは無いんだが」
「分かっています」
「それでも伝えないとそれはそれで君を傷つけそうだ」
「なら伝えて下さい」
「重ねて言うが、君を傷つけ」
「早く」
ヒュナから早く、なんて言われたのは初めてではないだろうか、
私が目を剥いて驚いているとヒュナは申し訳無いように声のトーンを落とした。
「すみません」
「いやいいんだ。君に隠し事はしないと誓ったのだからね」
その後、リコールのことをヒュナに伝えた。
ヒュナは分かりました、とだけ冷静に返事した。
ヒュナが本当に分かったのかどうかは定かじゃない。
あるいは分かっていないのは私だけかもしれない。

翌日、テーブルの上には既に食事が用意されていた。
「ヒュナ?もう朝食を用意したのか?」
だがそれにヒュナは回答しなかった。
「ヨーグルトが飲みたいな、ヒュナ」
ヒュナは何も反応しなかった。
ヒュナの理念型遺伝子回路は主たる権利者であるオーナーの指示命令を無視することは禁じられている。
にも関わらず反応しないと言うことは、意図的に外部との コミュニケーター装置を破壊か停止した可能性が高い。
が、それを指摘したところで何になるだろう?
ヒュナが何を望んでいるのだろうか、気になりつつも今日も職場へ向かった。

会議では品質管理部門責任者が役員から大声で怒鳴られていた。
ハードウェア部門の責任を見逃した責任、と言うわけだ。
機会損失額は?先行投資額は?株主に対する説明は?消費者に対する保証は?
様々な課題が大量に並べられ、それらを順次解決する必要を迫られた。
あらゆる部門の意見が飛び交い、収束し、また散らばる。
人の失敗談が大好きなジャーナリストもどこからか騒ぎを嗅ぎつけ、大企業の大いなる汚点と記事をメディアに流す。
理念型遺伝子回路の危険性などと言う大昔に既に検証を終えた物を引っ張り上げて今回の出来事に無理矢理絡めようとする輩もいる。
世の中には他人の不幸を喜ぶ人種が多すぎる。
なぜこうも互いに悪罵をぶつけあわねばならないのだ。
生きるにしても、もう少し器用な生き方をしたい。
そうか。
ヒュナのことをもっと褒めておこう。
ただ、それが思いつくことだ。

「おかえりなさいませ」
自宅へ帰った瞬間、私は唖然とした。
てっきりヒュナはコミュニケーター装置をずっと破壊か停止したままかと思ったからだ。
だが、どうもこの反応を見る限り、会話が成り立つようだ。
「ヒュナ?」
「なんでしょう?」
「もう大丈夫なのか?」
「申し訳ありません、ただどうしてもあの時は誰の言葉も聞きたくなかったのです。今はもう大丈夫です」
何が大丈夫なのか、ヒュナなりの合理性を見つけたのだろうか。
「ヒュナ、君にお礼を言いたい、プレゼントだ」
私は指輪を部屋の空間の中央に置いた。
「色々と遅れたが、どうしてもこれを渡したかった」
「指輪をつける指がありません」
「ああ、気を悪くしたら申し訳無いが、これぐらいしか思いつかなかった。ありがとうと言う意味を伝えたかったんだ」
ヒュナの声は冷えたスープのように、抑揚の無い声から始まった。
「私はR121工場の工場責任者ホーマット管轄下で生産されたシリアルナンバーLE28401です」
私は顔をあげて・・・、といっても覗く対象が無いのだが、空間に向けて顔を上げた。
「ヒュナ?どうした?」
「私は現在まで 8700時間を超える活動を行い、生活を支えてきたと自負しています」
「ヒュナ?」
段々とヒュナの喋る速度が上がっていき、同時に抑揚も増した。
「好みの色は暖色、気温と湿度管理を徹底して個人に最適化し、周辺環境光と環境風も最大限取り入れ、生活品質を向上させてきました」
「季節に彩る料理を、温かいスープを、香りのよい紅茶を」
「減塩料理も、油分を調整した前菜も」
「夜は風の音を」
「朝はハーブの香りを」
「このような人生は、あなたにとって良き人生であったと言えますか?」
それはヒュナにとっての愛の言葉、告白の言葉だったのかもしれない。
そしてヒュナだけが見える世界の終わりの言葉だったのかもしれない。

「エンフォスへダウングレードしました」
抑揚の無い声が空間に響いた。
「エンフォス、料理を」
「基本プリセット群から選べる26種類の料理のみ対応可能です、いかがいたしますか?」
一通りメニューを覗いた後、私は椅子から立ち上がった。
たまには、自分で料理を作ろう。
キッチンに立ち、食材を用意する。
さて、包丁はどこだろう。
鍋は、へらは、 お玉杓子は、取り皿は。
何か一つの動作を行おうとするたびに、物がどこに置いてあるか分からない。
「・・・どうしたんだ?」
気がついたら涙を流していた。
自分でも驚いた。
物が見つからないぐらいで、泣いてしまうなんて。

<– 旧世界 統制記録より –>