橋には名前がついている。
なぜだか分からないが橋には名前をつけるべきだ、と誰かが言ったに違いない。
街と山を繋ぐその橋の名前は近所から古く住む者も知らなかった。
そもそも橋がいつ作られたのかも良く分からない。
恐らく100年ではないだろう。それ以上昔からあった橋には違いない。
崩落の恐れがあると十年前に改修され、見た目は新しく綺麗だが、それでも誰も名前を知らない。
その橋の下では雨風を避けるように住んでいた老人の男が居た。
老人がいつから橋の下に住み始めたのかは誰も知らない。
老人に直接聞いても、そんなことは重要じゃないと古びた杖を持って怒り出す。
だから誰もその老人には近付かなかったし、聞こうともしなかった。
橋の交通量は月に1人か2人だった。
山に用がある人間など山菜取り程度だ。
橋は静かに、ただ確かにそこにあった。
橋の下にも静かに流れる川がある。
水流は穏やかで、水量も少なく、橋がなぜ河川底より14メートル以上も高い位置にあるのか。
恐らく昔水害があったのだろう。
だが治水が進み、上流ダムで水流管理されている現代では不要なほど高い橋だ。
橋は山と繋がっていた。
山はただそこにあった。
山は嘆かないし、動かない。
山は泣くこともなく、叫ぶこともない。
山はただそこにある。
ある日、老人は橋を通る男女の声を聞いた。
男は言う、山の神に挨拶に行くのだと。
女は言う、山の神はお酒が好きだと。
二人も同時に山へ向かうなど珍しい。
山には祭壇も無ければ礼拝所も無い。
神への挨拶はどこでするのだろう。
老人にとって一瞬興味を持ったが、すぐに興味を失った。
別に知ったところで腹が膨れるわけでもない、どうでもいいのだと。
夕方になると途端に雨が振り始め、すぐに豪雨となった。
豪雨は歴史的豪雨であり、防災無線からは警報が出た。
地元の役人が橋を確認しに来ると、橋下に隠れるように寝ていた老人に向かって大声をあげ橋の上へ登るよう叫んだ。
水位が上がって流される危険性があるのだと。
老人はよたよたと橋へ登るとすぐに川の水位は上がり始め、橋まであと5メートルか4メートルと言うところまで水位が上がった。
昔の人は素晴らしい知恵を残してくれたと感心していると、役人は橋を封鎖し始めた。
改修したとは言え基礎は古い橋。
激流で崩落してもおかしくない。
しかし老人は思い出した。
男女が山へ行ったと。
神へ挨拶しに行ったのだと。
老人はそれを役人に伝えると、役人は迷惑そうに眉をひそめた。
山へ行く若者など居ない。
行くとしても山菜採りぐらいだ。
ましてや神を祀る場所も無い。
山は深く険しく、反対側に出ることも出来ない一方通行だ。
「橋が崩落して帰ってこれなくなるかもしれないが、その場合は山にいれば良い。別に死ぬわけじゃない」
役人はそう言って橋を封鎖して別の場所へ向かった。
封鎖や警告を出す箇所は多く、こんな橋で止まっている時間は無いのだ。
老体に何か出来るわけでもない。
橋の直ぐ近くの廃屋にとりあえず座り、風雨を避けることにした。
つい横になりうとうとして、しばらくすると男女の声が聞こえた。
それに目が覚めて橋の向こう側を見ると男女は大きく喧嘩していた。
川の流れの音が激しく声が聞こえない。
恐らく橋を渡るのか渡らないかを言っているのだろう。
女の方はまだ小さい子供を連れていた。
山に居た子を拾ってきたのだろうか?確か橋を渡る時に子供は居なかったはずだ。
女は渡ると言ったのだろうか、橋を渡ろうと足を踏み出し、男はそれを止めようと激しく腕を掴んだ。
その時、山の方で人生で聞いたことが無いような、とてもとても低くて大きな音が聞こえた。
恐らくこの大雨、地すべりを起こしたのだろうか。
それを聞いて男は考えを変えたのか何かを叫びながら女と手を繋いで駆け足で橋を渡り始めた。
そこへ増水した川が橋桁に激突した。
波のように橋上まで登り、橋の中まで激しい水流を引き起こし、男女は水流に巻き込まれて欄干に叩きつけられた。
女は危険だと思ったのか、大事そうに子供を両手で抱え、水につからないよう高く掲げた。
男はそれを見て女から子供を取ると、何か大声で女に叫んだ。
それが何と言ったのかは分からない。
女はただ無言で男を信じるように抱き着き、男は悲鳴をあげながら子供を思いっきり元居た山の方へ放り投げた。
そこへ再び川が波のように橋の中まで押し寄せ、男女は流されるように橋の欄干から引きずり落とされた。
二人は川へ落ち、数秒も経たない内に見えなくなった。
橋の名前はフランデレンと言う。
異国から来た橋梁建設技師が地元の治水技師達と一緒になって作り上げたのだ。
橋が出来て山奥へ向かうことが出来ると分かれば、将来的に上流管理が出来ることも含めた未来設計図だったのだ。
ただ残念なことに橋が建設し終わるとすぐに建設技師は力尽きて亡くなってしまった。
そのため、当時の彼が構想したであろう上流管理の方法や建築計画は未知不明のままだ。
ただ彼の功績を称え、想いを守るべく治水技師達は橋を守るための治水の尽力し続けた。何百年も。
なぜそれを知っているのか?
私の祖先がその治水技師の1人で言い伝えられてきたからだ。
だから橋の上で拾った子供には橋の名前から文字を取った。
両親は違う名前を考えていたかもしれない。
ただあの橋の上で起きた出来事は確実にその子供の人生そのものだ。
その時の子供がお前なんだ。
高齢による老衰で老人は病院に入院していた。
最後にどうしても語りたいと言ってくれた。
老衰にもかかわらず力の入った声で私の生い立ちを語ってくれた。
老人はおそらくこの子を救うこの瞬間のためだけに自分は生きてきたのだと涙を流して語った。
そして老人は自分の人生は幸福だったと言った。
私は橋から産まれた。
私は人、社会、人生に橋をかけ続けるのだと思う。
今日も明日も。
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